黒プーあるのダイエット日記
やんちゃ息子の黒トイプードル「ある」と、万年ダイエッター☆であるメタボな管理人と、ちょっぴりシャイでゲーマーな相方さんとの、ほのぼの日記です(^^)あるの画像メインの日記やグルメレポ、ヘルシーで美味しいレシピ、趣味の旅行や映画レポをぼちぼち掲載しますので、ゆっくりしていって下さいね(^^) 訪問された際にコメントや足跡を残して下さると嬉しいです♪

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母娘京都旅行 2日目~その4~ 高桐院


母娘京都旅行 2日目~その3~ 今宮神社の続きです。


さて、大徳寺に来た理由の一つ、紅葉の名所高桐院に向かいます。


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後世に利休七哲のひとりとして称された細川忠興によって1601年に建てられたお寺、高桐院。

竹やもみじに包まれた石畳の参道、

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千利休のお屋敷を移築した書院、利休の茶道を正確に理解した忠興設計の茶室・松向軒などが見どころ。

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高桐院のお庭は散策することもでき、当時使われていた井戸や、忠興お気に入りのつくばいがあります。


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このつくばいは加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰った羅城門の礎石です。

奥には細川忠興とガラシャ夫人のお墓もあります。

DSC04560.jpg

細川ガラシャ(明智 珠)は1563年、明智光秀と妻・煕子の間に三女として越前国で生まれ、

15歳の時に父の主君・織田信長のすすめによって細川藤孝の嫡男・細川忠興に正室として嫁いだ。

忠興は教養人・茶人としても有名で、利休七哲の一人であり、茶道の流派三斎流の開祖である。

珠は美女で忠興とは仲のよい夫婦であり、3男2女に恵まれる。

しかし1582年、父の光秀が織田信長を本能寺で討ち、秀吉に敗れたため、珠は「逆臣の娘」となる。

忠興は珠を愛していたために離縁せず、1584年まで彼女を丹後国の味土野に隔離・幽閉する。

この間の彼女を支えたのは、結婚する時の小侍従や、細川家の親戚筋にあたる清原家の侍女達だった。

1584年、秀吉の取り成しもあって、忠興は珠を細川家の大坂屋敷に戻した。

これらの人生の変転の中で、珠はカトリックの話を聞き、その教えに心を魅かれていった。

1586年、忠利が生まれたが、病弱のため、珠は日頃から心配していた。

翌年、夫の忠興が九州へ出陣している際に、彼女は意を決してカトリックの教えを聞きに行き

大坂に滞在していた神父の計らいで密かに洗礼を受け、ガラシャという洗礼名を受けた。

しかし、後に秀吉はバテレン追放令を出し、大名が許可無くキリスト教を信仰することを禁じた。

忠興は家中の侍女らがキリスト教に改宗したことを知って激怒し、改宗した侍女の鼻を削ぎ、追い出した。

幸いにもガラシャは発覚を免れたが、拠り所を失ったガラシャは離縁したいと宣教師に打ち明けた。

関ヶ原の戦いが勃発する直前の1600年、夫が徳川方につき上杉討伐のため不在となった隙に、

細川屋敷にいた彼女を、西軍の石田三成は人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。

その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原秀清に命じ、

槍で胸を貫かせて亡くなった、(事実上の自害だが、自殺はキリスト教で禁じられているため)

この後、小笠原は屋敷に爆薬を仕掛け火を点けて自刃した。

ガラシャの死の数時間後、神父は細川屋敷の焼け跡を訪れてガラシャの骨を拾い、手厚く葬った。

細川忠興はガラシャの死を悲しみ、1601年にガラシャ教会葬を依頼して葬儀にも参列、

遺骨を大阪の崇禅寺へ改葬。他にも、京都大徳寺塔中高桐院や、肥後熊本の泰勝寺等の墓所がある。

1620年、忠興は三男の忠利に家督を譲って隠居。

1632年、忠利が肥後熊本藩54万石の領主として熊本城に移封されると熊本の南の八代城に入る。

1645年12月2日に没した。享年83歳。


ひっそりと建つ細川忠興とガラシャの墓の周りには、色とりどりの紅葉があり、

まるで二人を守るかのようです。

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特に方丈の客殿前に広がる南庭は、手前に楓、奥に竹があり、緑の苔に覆われた地面に紅葉が映えて

とても美しい風景に癒されます。



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皆さん思い思いの場所で、紅葉を眺めてありました。新緑の時期も綺麗でしょうね。。。



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高桐院の紅葉に心を奪われた後は・・・・スイーツです(苦笑)



大徳寺の近くにある、片平なぎささん絶賛のわらび餅やさんに伺いますよ(^^)v


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